◇那須高原の郷土料理◇ 那須高原のスローフードな郷土料理レシピ集!

那須塩原市|那須町|大田原市|那珂川町|矢板市|さくら市|那須烏山市|白河市|西郷村|泉崎村|中島村|矢吹町

ホーム サイトマップ メール
トップページ

郷土料理のいろいろ知恵袋

郷土料理百選レシピ・しもつかれ
| |
栃木の郷土料理「しもつかれ」とは? 作り方いろいろスタンダードレシピ! 百年使える鬼おろしをハンドメイド!
郷土料理百選に選ばれた「しもつかれ」
「しもつかれ」の語源は下野カレー?
お稲荷さんの好物はタブーがいっぱい
「しもつかれ」にもコンテストがあるんです
節分の味「しもつかれ」を作ってみよう!
無病息災を祈る究極のエコ・レシピ
どんな鬼おろしを使っていますか?
わが家に伝わる昭和初期頃の鬼おろし
那須高原の竹で鬼おろしを作りました!
郷土料理百選に選ばれた「しもつかれ」
下野国で食べられてきた“いにしえ”の郷土料理
「郷土料理百選」とは、農林水産省が行った全国の農山漁村に受け継がれる郷土料理のベスト100のこと。栃木県からは「いとこ煮」や「イモ串」、「すいとん(法度汁)」や「かんぴょう卵とじ」といったおなじみのレシピが候補に上がりましたが、「しもつかれ」と「ちたけそば」が選ばれました。

農山漁村の郷土料理百選

そこで、栃木県では誰もが知っている、でも全国的にはまったく無名の「しもつかれ」について、アレコレと調べながら、実際に作ってレシピをご紹介することにします。

まずはじめに、栃木県以外の人に「しもつかれとはなんですか?」と、聞かれたら……。ごく簡単に答えると、「大根と大豆と鮭を煮込んだ粕汁」ということになると思います。大根は「鬼おろし」ですらないとダメだとか、鮭は頭を使うとか、そういう難しいことはナシにしてとりあえず「粕汁」ということにしましょう。ここのニュアンスが「しもつかれ」の微妙なところで、「汁」であって「煮つけ」でもあるという、その中間のような食べもの。栃木県ではおかずとしての意味合いが強いです。

「しもつかれ」は平安時代に下野国、今の栃木県に伝わったといわれます。「しもつかれ」を食べる地域は、栃木県を中心にして福島県の南会津郡を北限に、茨城県西部、群馬県の一部、埼玉県東部、千葉県の東葛飾郡にまで広がっています。ですので厳密にいえば、「しもつかれ」は“北関東の味”といったほうがいいのかもしれません。

福島県の中通り(白河市から福島市までの地域)では、「しもつかれ」を食べませんが、南会津ではなぜかよく食べました。その由来は、昔、南会津には茅葺屋根職人が多くいて、その人たちは北関東まで出稼ぎに行っていました。その人たちが「会津西街道」を通して伝えたとも考えられています。栃木県内でも、盛んに食べる地域にばらつきがあって、那須や足利はそれほどでもありませんでした。

福島県南会津から茨城県西部まで広がっています
「しもつかれ」の語源は下野カレー?
那須町「殺生石」の九尾の狐が「しもつかれ」の起源
一般的に「しもつかれ」で知られる郷土料理ですが、各地域によって呼び名に違いがあります。大まかに「しもつかれ」、「しもつかり」、「しみつかり」、「しみつかれ」、「すみつかり」、「すみつかれ」という6つの呼び名に分けられるようです。古い呼び名は「しむじがえり」というらしく、これは福島県南会津や茨城県西部といった中心地の栃木県から離れた地域で使われているということです。

県内に住んでいても呼び名が違うという“多民族世界”を作り上げている「しもつかれ」ですが、それではその語源はいったいなんなのかというと、これもまたいろいろのようです。間違っても見た目で「下野カレー」ではありません。

【下野国起源説】
広く知られているのが、栃木県は下野国(しもつけのくに)だから「しもつかれ」という説です。この説にはある物語があります。那須町に「殺生石」という史跡がありますが、そこは、九尾の妖狐が殺害されて毒を吐き出す石と化し、会津の玄翁和尚がその石を砕いて怨みを封したという『九尾の狐』の伝説が残されています。その石が砕け散ったとき、あたりの人びとは底豆(足の裏にできる豆)に苦しめられます。これも妖狐の災いと思った人びとは、大根をすりおろして、狐の好物である鮭の頭と油揚げを煮込んで、稲荷神社にお供えしました。これが「しもつかれ」の起源になったともいわれています。

【酢漬り説】
「しもつかれ」には隠し味に酢を混ぜる地域があります。古い文献の記録には、「あたたかなるとき、すむずかり……」という一文があって、酢漬かりの「すむずかり」が訛って「すみつかり」や「しみつかり」になったという説があります。

【凍み漬り説】 
「しもつかれ」は煮込み料理ですが、熱いうちに食べるといよりは、いったん冷まして味がしみ込んでからのほうが美味しいのです。つまり、「しみつかり」を「しみ」と「つかり」に分けると、「凍み・滲み」と「漬かり」になり、料理の特性からきたという説があります。

【つむじ説】
「しもつかれ」のマイナーな呼び名に「つもじかえり」というのがありますが、筑波のほうで「しもつかれ」を稲わらのつとの中に包んで、人が後ろ向きになりながらそれを屋根の上に投げる風習があります。そのときに稲わらの結び目が頭のつむじに似ていて、かつ、屋根の上に投げる状態から「つもじかえり」と呼ぶようになった説があります。
お稲荷さんの好物はタブーがいっぱい
タブー(禁忌)なき現代では、食べものにそれがあることさえピンときませんが、「しもつかれ」は“タブーのレシピ”といっていいほど、各地域独特の風習があります。「しもつかれ」は初午の日(2月最初の午の日)に食べる行事食ですが、その日以外に作ると、火事や災難が起こるともいわれています。どうしても食べたいときは、大豆を入れなければよいといった呪い除けの方法まで……。

栃木県内に広く伝わっている風習は、「節分の豆を入れて作る」と「稲わらのつとの中に入れて稲荷様や氏神様に供える」という2つです。「しもつかれ」は作るときよりも、作った後の“アフター”のほうが大事ということで、「稲わらのつとの中に入れて屋根の上に投げると火事にならない」、「稲荷様に供えると狐が畑を荒らさない、または疫病にかからない」という言い伝えがあります。

北関東の節分のころは、まだ寒さが残っているので、栄養豊富な「しもつかれ」は大変なごちそうでした。そんなことから、「7軒の家のしもつかれを食べると中風(脳卒中)にならない」、「午前10時前に橋を渡らないで7軒の家のしもつかれを食べると中風にならない」といった慣わしになったのでしょう。

那須野ヶ原の開拓と縁の深い「烏ヶ森」の烏森稲荷でも「しもつかれ」をお供えします

「しもつかれ」の起源説が残る那須高原でも「しもつかれ」を作ります。呼び名は「しみつかれ」のほうが一般的です。那須塩原市三区町には、那須野ヶ原の開拓と縁のある「烏森神社」があります。本殿の裏手に回ると「烏森稲荷」がありますが、2月最初の午の日にお参りする風習があって、そのときに、稲わらのつとの中に入れた「しもつかれ」と赤飯をお供えします。ここでも7軒の家の「しもつかれ」を食べると中風にならないという伝承があって、それぞれの家を訪ねてごちそうになったといいます。那須塩原市では、井口の「椿稲荷」や「金神様」、下中野の「赤渕稲荷」でも「しもつかれ」をお供えする風習がありました。
[参考文献]  『郷土料理シモツカレの地理的分布 シモツカレにまつわる風習・伝承』  朝倉 隆太郎 著 〈宇都宮大学教育学部紀要〉
『日本の食生活全集9聞き書栃木の食事』 〈農山漁村文化協会〉
| |
那須高原の郷土料理に掲載した画像や記事は著作権法等で保護されておりますので無断転載・複写を固く禁じます。
(C) Copylight Nasukogen no kyodoryori. All rights reserved.