◇那須高原の郷土料理◇ 那須高原のスローフードな郷土料理レシピ集!

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トップページ 郷土料理のときどきコラム 那須御用邸と昭和天皇のお食事
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昭和天皇のつつましいお献立
天皇陛下の食事は宮内庁管理部大善課が務めます。大善課には1係から5係の役職に分かれていて、1係が和食、2係が洋食、3係が和菓子、4係がパンと洋菓子、5係が東宮さまの担当だそうです。『昭和天皇と鰻茶漬』(河出書房新社刊)を書かれた谷部金次郎さんは、26年間、昭和天皇の料理番として日常の食事から皇室の行事食まで手がけました。谷部さんの本によると、昭和天皇のお食事内容はもちろんのこと、その温厚なお人柄までも伝わってきます。

広く世間で誤解されているのが、天皇陛下に出される食事はいわゆる“お毒見”があると思われていますが、これは時代劇の中だけの話しで実際にはありません。それと、宮中料理は豪華絢爛で食器類も金銀の名宝ばかりといったのも誤りです。食器はごく一般家庭で使われているもので、箸は割り箸(柳箸)を2、3回使いまわしていました。ただし、晩餐会や行事のときだけは菊の御紋が入った食器を使います。

日本の最高権威といっても、食生活は一般人並み、いやそれよりも質素でつつましいです。余った食材や料理なんかも「おすべり」といって、料理番のほう回され「おすそ分け」していただいたとのことです。

そこで昭和天皇の食事はどんなものであったのかというと、朝食は8時30分、昼食は正午、夕食は午後6時で、それぞれに40分から50分が食事時間です。朝食は洋食をいただきオートミールやパンが主食でした。和食は一日に一回で、昼食と夕食の交互に出されたようです。 日常の献立は一般人とさほど変わりませんが、食材だけはいい物を使っています。栃木県高根沢町に「御料牧場」があり、そこで有機農業による野菜を栽培し、畜産品の生産を行なっています。著者の谷部さんの記録によると、献立には次のようなものがありました。


【9月10日】

●吸物・五景汁湯/椎茸・うずら・さや・若鶏・竹の子

●丸麦入御飯 
*途中から押し麦に変更しました

●塩焼太刀魚/染卸し

●樫焼玉子/そぼろ入り 
*オムレツのこと

●浸し摘み菜/花香々

●奈良漬瓜/胡瓜 
*奈良漬は皇后様のご好物でした



【9月11日】

●吸物・船場仕立/小角切鯖 
*サバのお吸物

●丸麦入御飯

●石鍱立田揚/染卸し 
*石ガレイの竜田揚げ

●滷肥肝(ルイチンカン)/レバー・ピーマン・竹の子・椎茸 
*片栗粉の餡かけ

●味煮/白豆・昆布

●奈良漬瓜


昭和天皇のご好物はお芋かぼちゃで、魚は背が青いさんまいわしあじを食べ、たたみいわし鰻の蒲焼鰻茶漬も好みました。麺類ではうどんそばです。ざるそばを食べるときは薬味に手をつけず、海苔を少しだけ添えて、やや甘みの強いたれで召し上がったということです。陛下はお酒を飲みませんでしたが、皇后様は奈良漬がご好物でしたので、陛下が手をつけなくても必ず食事に出されました。

よく宮内庁御用達献上品という言葉を耳にしますが、宮内庁の御用達になっている品は、園遊会の手土産として配られる「菊焼き残月」というお菓子と目白の米屋「小黒」の精米だけで、食材のほとんどは御料牧場のものを使っています。献上品のほうは松茸、寂光院のしば漬け、房総のビワなどがあったようです。その中でも昭和天皇が最もお喜びになったのは、那須御用邸でご滞在のときに届けられる鰻だったのです。


那須高原にあるもう一つの御用邸
現在まで利用されている御用邸は那須御用邸の他に「葉山御用邸」(神奈川県三浦郡葉山町)と「須崎御用邸」(静岡県下田市)があります。那須御用邸は8月から9月、葉山御用邸は2月から3月、須崎御用邸は7月から8月に皇室ご一家が訪れます。那須高原には1904年(明治37年)に建てられた塩原御用邸がありました。現在は建物の一部が「天皇の間記念公園」として移築保存され見学することができます。
大正天皇・昭和天皇が避暑地として訪れました 木造平屋の「御座所」が移築保存されています
執務に使われた「御座所」 蚊帳をかけた「御寝所」
洋風の照明が下がる廊下 部屋の隅には蚊帳の止め金が見られます
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